のこのこいきる

26歳で若年性乳がん患者となりました。現在29歳。治療のことや日記

告知まで


◾︎9月上旬
夜眠るときの着替え時に、彼氏が胸のしこりに気づく。
ちょっと前までは確実になかったしこり。私より彼氏の方が心配して、検査に行くように頼まれる。
結局その週は行かず、次の週に検査する約束をする。

◾︎9月12日
近所に乳腺外来のクリニックがあったので受診。
マンモの技師さんがめちゃくちゃ痛くしてくる人でおう………となる。
技師さんによるエコー後に先生が出てきて、再度エコー。うーん、やっぱりしこりがあるので生検もやりましょうそうしましょうということになる。
あれめっちゃ痛いですね。正確に言うと麻酔の注射が痛い。痛すぎて静かにポロポロ涙を流す。
更に生検後の圧迫(結構血が出るらしく)が強くて痛い。がっつりテーピングされて、結果は2週間後に来てくださいということになって、ここから2週間後浮ついた気分で過ごすことになる。

ついでにこの日は次の日に地元の神事に参加する為に実家に帰った。生検で具合が悪くなったこともあって、検査を受けたことは家族に報告。
この時初めて、父方の伯母が乳がんだったことやそもそも癌家系であることを知る。
(私が知らなかっただけで、皆は私も知ってると思ってたらしい)

◾︎9月26日
この前日、会社の先輩にがんの可能性について話した。先輩は心配しすぎだと言って、私もそうだよねーと言った。

検査結果を聞きに行くと、先生が「1人なの?」と驚いた。家族の同席を求められてないからがんじゃない、と思っていたのでこの時点で色々悟った。
先生は検査結果の紙を伏せつつ、乳がんであること、しこりは3cmはあること、おすすめの転院先について話してくれた。
このとき一番覚えているのは、「温存したいですか?」と聞かれて「分かりません」と泣いたこと。
がんのことは何も知らない。温存したいに決まってるけど、何かリスクがあるのかとか何も知らないから今決められない!と気持ちが溢れてしまったのだった。

結局この日は同時再建もできるかつ比較的早く手術できるという条件で昭和大学江東豊洲病院に紹介状を書いてもらい、初診予約もした。

ちなみに、他には聖路加やがん研有明などが選択肢にあったけれど、聖路加は差額ベッドしかない、がん研有明は手術まで日が空くとのことで除外。
私は乳がん患者としてはとても若いので進行も早いと思うので、とにかく早く手術して欲しかったのだった。